Surrounded By Football -サッカーライターが考える-

自分は、サッカーを中心にスポーツ全般を扱う場所に軸足を置きつつ、書くこと以外にもさまざまな仕事をしています。スポーツに囲まれて毎日を送る事ができて幸せです。ここでは、サッカーのことも書きますが、それ以外の話題も。アウトプットの場として用意したものです。シェアして頂けましたら喜びますので、よろしくお願いします。

卒業文集を晒されたくない理由

先日のブログでは本田圭佑選手の卒業文集がネット上で話題を読んだことに対して言及したのだが、多くの人がポジティブな印象を持ったのに対して、何で自分はこのブログに記したように、マイナスのイメージを持ったのだろうか。ちょっと考えてみた。

その答えが、わかった気がする。というのも、昨日のブログ更新をtwitterで宣伝(ていうのか?)した際に、こういうリプライをもらった

 

@reona32 犯罪者とか亡くなった被害者なんかも晒されがちですよね。血も涙もないというかなんというか。

 

これを読んで、なんで昨日の本田選手の件に関して違和感というか、嫌悪感を覚えたのかが、わかった気がする。

自分の周囲の出来事に対して嫌悪感を覚えるというのには必ずしも理由があるものだ。そして、それはその人自身の過去の体験に基づくことが多いのではないだろうか。全ての人に対してそう言えるとは断言できないが、PTSDとかトラウマとかまではいかないまでも、過去に経験した嫌な出来事を思いださせるような事象に直面した際には、不快な気分になるもの。つまり、自分には卒業文集もとい卒業アルバムにまつわる嫌な想い出があるということ。ただ、晒されたのは自分ではなく、友人の情報だった。

 

昔、僕の友人が事件に関わってしまったことがある。その事件というのは人が亡くなってしまうような大きなもので、それこそテレビでも報道されたもの。そのときに、報道関係者が僕のところにやってきて、友人の写真の提供を求めてきたのだ。何がなんだかわからない状況に僕はいたのだが、とりあえず断った。それこそ、そのときに求めてきたのは卒業アルバムの写真だったと思う。しかし帰宅後にテレビのニュースを見ていた際、その事件について報道されたのだが、画面の向こう側で友人の写真が、卒業アルバムの写真が映ったのだ。

 

『誰かが、提供したんだな』

 

と、思った。

 

今思い返せばそれ以来、アイドルやタレントが中高生時代の写真、それも卒業アルバムから拾ってきたものをネット上に晒されているのを見た際、いい気分になることはなかったと思う。

昨日の本田選手の卒業文集を見たとき、まずいい思いをしなかったのも、こういう経験をしてきたからなのだと思う。

 

では、今日はこんなところです。

 

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