Surrounded By Football -サッカーライターが考える-

自分は、サッカーを中心にスポーツ全般を扱う場所に軸足を置きつつ、書くこと以外にもさまざまな仕事をしています。スポーツに囲まれて毎日を送る事ができて幸せです。ここでは、サッカーのことも書きますが、それ以外の話題も。アウトプットの場として用意したものです。シェアして頂けましたら喜びますので、よろしくお願いします。

卒業文集なんか晒されたくない

ブログ、サボりませんよ。やるって決めたので。溜め込んでいたネタが幾つかあったのですが、それよりも昨晩くらいからSNSで以下のことを話題に上げてる人がたくさんいたので、感じたことを綴ることにした。

本田圭佑の卒業文集すごいと話題に
http://attrip.jp/101501
 
これを見て僕の頭によぎったのが、AKBのような国民的アイドルの中高時代の卒業アルバムに載っている個人写真がネット上に出回っているという、よくあるケース。それに関しては『高校時代から可愛かった』ということを強調するポジティブなものや『昔は今ほど可愛くなかったから、今の顔は整形なのでは?』と糾弾することを目的にしたようなネガティブなものまである。
 
 今回の本田選手の件に関しては間違いなく前者だろう。『この頃から強い信念を持って、貫いていた』ということを先日のオーストラリア戦の活躍に準えて、'本田圭佑'の人物像を濃くしたというべきか。まあ、自分のフォロワーなりfacebookフレンドなりでこの文集に対してネガティブな発言をしていた人はいないので、結果的にイメージアップに繋がったことは間違いなさそうだ。
 
文集をネット上に流した人はおそらくそういうプラスの意味を持ってこの行為に及んだのだろうし、そこに悪意はないと察する。
本田選手がこの事実を知っているかどうかも、それに対してどういう反応を見せたかも全く僕の知るところではないが、一つ言えるのはこの卒業文集は不特定多数の人に向けて書かれたものではない、ということ(いや、もしかしたや当時小学6年生の本田少年は将来自分がサッカーの界で活躍した際、この文章がメディアに晒され、多くの人から『本田は小学生の頃から壮大な夢を描いていて、それを実現した!なんてすごい奴なんだ!』と賞賛を受けることを狙っていたのかもしれないが。とりあえず確率は低そうなのでそっちの方向性はないことにしておく)。
 
卒業文集の定義なんて考えてしまうとややこしくなるが、そこに書かれている個人個人の作文とは小学校の同級生やその周り程度の小さなコミュニティの中で読まれることを想定した書いた文章であり、今出回っているブログやSNSとは180度異なるものと言っていい。メディアではないのだから。いくら内容が良いものだとしても、それを全世界に安易に発信するのはどうかと思うし、それに同調する人が多いことにも若干違和感を覚える。一方でああいった情報は広めたいと思う気持ちもわかるので、難しいところ。
 
ただ、前述した通りブログやSNSでの発言と文集の作文では"閲覧すると想定される層"が異なるものなので、本人の了承がない限り拡散してはいけないのではないだろうか(本田選手本人から許可を取っているのであればごめんなさい)。
未来の小学校で卒業文集の作文の要項を説明する際、担当の先生が"将来あなた達が有名になったらこの作文がインターネットを通じて広まる可能性があります。なのでそこも考えながら書きましょう"なんて言う姿は想像したくない。
つまり、こういったことは当たり前になってほしくない。最初に述べたアイドルの写真にしろ、今回のような件にしろ。
 
 
自分がいくら有名になったとしても、卒業文集など黒歴史満載な過去の遺物は晒されたくないのでこういう結論に達しました("お前と本田と比べるな"なんて言わないでください)。
 
では、今日はこんなところです。
 

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