人の命を引き換えに行われるワールドカップに価値はない
僕はテレビをほとんど見ないのだが、朝起きて家を出るまでの間はとりあえずBS1で放映されているWorld Waveを流している。そこで昨日、BBCからのニュースで興味深いものがあった。ここ2日でアムネスティはじめ多くの団体やメディアが露出させている話題なのでご存知のかたも多いと察しますが、これです。
BBC News - Nepal's World Cup trail brings misery
簡単にまとめると、2022年のワールドカップ開催地であるカタールで行われている建設作業の労働力として雇われたネパールの出稼ぎ労働者達が劣悪な環境で作業を強いられている事実を伝えるもの。
決して裕福とはいえない家庭を支えるためにミャンマーから出稼ぎ労働者としてカタールへ赴き、ワールドカップのための建設作業に携わった29歳の男性が、満足な休みや食事が与えられることなく、心臓発作を起こして帰らぬ人となった。それによって未亡人となってしまった奥さんがインタビューに応じてくれているのだが、その悲壮感は言葉では表せない。全く別の話になるが、伝えるツールとしての動画のパワーを感じた次第だ。ちなみに動画はリンク先で見ることができるので、是非。
スポーツに密接に関わりながら生活をしていいる自分としては決して見て見ぬふりは出来ない話題と感じたし、大学時代から考え続けていたスポーツの社会的価値・存在意義というテーマとは相反する内容であったために、ブログで発信することにした。
そういう側面で考えた時に、1990年代後半あたりのナイキの東南アジアでの児童就労問題(NIKE Swetatshop)が挙げられると思うのだが、興味ある方はウィキペディアにまとめられているのでどうぞ。ただ、ここでの情報は表面的なものだけなので注意。
↑ナイキの児童就労の風刺画
話がそれたが、そもそもスポーツ全般なんてものは正直、人間が生きていく上で必要が全くないもの。それでもここまで、特にサッカーが世界に広く根付いているのは、サッカーというスポーツが与える感動や興奮が世界中の数えきれないほどの人々に支持されており、その存在価値が多くの人に認めてもらってくれるからである。ワールドカップもチャンピオンズリーグも、各国で行われているリーグも開催が出来るのは、その大会が間違いなく個人の精神面にも国家レベルの経済面にもプラスの影響を与えてくれるからだと、そう思っている。幼い少年少女にも夢を与えてくれる。それはオリンピックも然り。まちがいなくスポーツの国際大会には存在価値がある。
しかしどうだろう。今回のような出来事が横行している事実が、ワールドカップやオリンピックの裏にあることを、知ってしまったとしたら。
開催する意義はあるのだろうか?人の命を犠牲にしてまで開催される大会に存在意義はあるのか? 少なくとも、この事実を知ってしまった以上、僕は2022年に行われるであろうカタールワールドカップを100%で楽しめることがなくなった。開催が近づくに連れて、この旦那さんを亡くしてしまったこの女性の表情がよぎるに違いない。それに、間違いなく過去のオリンピックやワールドカップでもこういう労働環境の問題はあったのだろうと察する。そう考えると本当に居た堪れない。
この亡くなってしまった29歳の男性の生命の損失を無駄にしてはいけないというのは月並みだが、決して今後こういうことが続かないように大会に関わる個人や組織が色々な働きかけをしなければいけない。それと同時に、低賃金で劣悪な労働環境とわかっていてもそこに出稼ぎに行かざるをえない多くの移民の存在に、国際社会とその構成員である僕達1人1人が目を向けなければいけない。
今朝の同番組内でもドイツのZDFという放送局のニュースが紹介されており、そこでインタビューに答えていたFIFAの要人らしき人が
「一つ良かったことがあるとすれば、この問題がワールドカップの開催によって世界に知られたことだ」
と苦い表情で語っていた。まさしくその通りだが、はっきりいってこの問題が解決されないこことには"知られた"という事実の意味がなくなってしまう。
なので、僕はこの事実を全力で多くの人に伝えたいと思う。 極論、これが解決されないのであれば日本はこの大会への出場を辞退してほしい。
そして最後に。アムネスティが
THE DARK SIDE OF MIGRATION: SPOTLIGHT ON QATAR’S CONSTRUCTION SECTOR AHEAD OF THE WORLD CUP
という論文を掲載していたので、興味ある人は是非。自分も読まねば。
では、今日はこんなところです。